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仙頭実千恵 出会いの記録
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西欧文化の世界遺産 プラハへ音楽を求めて
1. 出発 1995年8月
1995年の夏。チェコ共和国の首都プラハを旅行してきました。 プラハは1992年に世界遺産へ登録された街で、13世紀から14世紀に神聖ローマ帝国のもと栄えた当時の様子を今に残しています。 今回の旅は、私の英語の先生である岡村先生に引率していただく形で、生徒の氏原さんと私の3人のツアーでした。 プラハまでの飛行機は、高知→関空→シンガポール→フランクフルト(ドイツ)→プラハ、と乗り継ぎのりつぎ。。 はるばる地球の裏側まで来たという実感をもたせてくれました。 ![]() ↑ 写真は高知空港にて。岡村先生と私。 |
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2. シンガポールで乗り継ぎ。 1995年8月
飛行機乗り継ぎのため、シンガポールで一休み。 ![]() 多様な顔形、肌の色をした人たちが目の前を通り過ぎていきます。見ているだけで結構楽しめる光景でしたが、7時間という時間はヤハリ長い。。 出発したばかりにも関わらず家族に手紙を書きました。 ![]() シンガポールの切手/70c 終戦日の様子らしいです。描かれている人はアジア系の顔かたちにみえますが、給仕の女性はオードリー・ヘプバーンに似てるような・・。 背景には下のようなニュースが載っていました。
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3. プラハへ到着! 1995年8月
実感として2日くらいかかったように感じましたが、、ようやくプラハへ到着! ここでの宿はアドリア(ADRIA)というホテルで、ヴァーツラフ広場というプラハで一番の繁華街にありました。 ホテルアドリアのパンフレット ホテルアドリアの朝食バイキング。左に居るのはまさ子ちゃん(こと氏原さん)。 プラハでの観光初日、岡村先生の友人のDr.Tomasに案内してもらいました。写真はヴァーツラフ広場にて、Dr.Tomasと岡村先生と共に。後ろに見えるのは国立博物館。 |
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4. プラハの旧市街 〜プラハへの旅[上・T] 1995年8月
旧市街はプラハで古くから栄えたエリアで、旧市街広場という広場を中心に放射線状に小さな道が入り組むように伸びています。旧市街広場にはシンボリックな二本の塔をもつティーン教会と旧市庁舎があって、いかにも街の中心という感じ、事実そうなのですが、人が集うための場所という実感を覚えます。 ←二本の塔がティーン教会。その右手にある時計台が旧市庁舎。 ![]() 旧市庁舎には不思議な天文時計と毎時動き出す仕掛け時計が設けられていて、観光名物になっています。右の画像でいえば下に見える2つの時計です(一番下は写真が切れています・・)。 天文時計は地球を中心にして月や太陽やその他を含む天体が動く様子をモデルにしたもので1年を1周期として動いているそうです。(こんな時計が15世紀に作られていたなんて、、新しい物好きの信長がこれをみたら是非日本に来て同じものを作ってくれ!と言ったに違いありません。) ちょうど時計の下(旧市庁舎前)で結婚式の写真撮影をしていました。なんだかファンダジー映画の一場面を見ている感じがしました。 ヤン・フス像(旧市街広場) 旧市街広場のカフェテラス![]() 街ではいたるところでコンサートのパンフレットを配っていました。劇場がたくさんあって、オペラ等の演劇やクラシックのコンサートが頻繁に開かれているようです。左は旧市街の中心部にあるエステート劇場(Theatre of Estates)というちょっと名のある劇場。モーツァルトが1787年10月29日、"ドン・ジョヴァンニ"というオペラを初めてお披露目されたところだとか。左のパンフは"La clemenza di tito"=「皇帝ティートの慈悲」の広告用のもの。 プラハへの旅 >>上・Uへ続く |
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5. プラハ城へ 1995年8月
プラハは南北に流れる川(ヴルタヴァ(Vltava))が街を2つのエリアに分断しています。東側は平野で市街になっていて、西側は小高い丘があってその上にプラハ城があります。小さな街なのでプラハ城からはヴルタヴァ川の向こうに広がる市街が一望できます。 東西を分断するヴルタヴァ川には今はたくさんの橋がかかっていますが、そのなかで最も古い橋(14~15世紀に造られた)がカレル橋です。幅10m、長さ500m以上の石橋で、橋の欄干には30体の聖人像が建っています。 カレル橋は歩行者天国になっていて(車が通れないようになっていて)、たくさんの観光客がとおりますから橋のうえでは大道芸人やみやげ物を売る人もいます。写真はドヴォルザークの歌劇「ルサルカ」を歌う盲目の女性とアコーディオンを奏でる男性。 ![]() カレル橋を西へ(旧市街からプラハ城の方へ)渡って少し行ったところに日本大使館があります。建物自体は街の景観にあわせて造られているようですが、16弁の菊紋はやはりニッポン!という感じ。 プラハ城 プラハ城の衛兵交代式 透き通るようなスカイブルーの制服を着た兵隊さんと記念撮影。とってもオシャレ! 国旗掲揚は大統領在宅の印だとか。今はハヴェル大統領がご在宅のようです。![]() 黄金小路という、かつてお城の召使や錬金術師も住んだと言われる細い路地が、お城の奥のほうにあります。絵本に出てきそうな可愛い小さな家が立ち並んでいます。この中の一軒に、フランツ・カフカ(小説家(1883-1924))が職場にしていた家があります。 カフカの職場の近所のカフェ お城正面のフラッチャニ広場からプラハ市街を展望する。 |
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6. Dr.トマスのご招待 1995年8月
Drトマスの出身校チェコ国立カレル大学。「ヨーロッパで一番」というから何が一番なのかと思っていたら、その歴史だそうです。創立1348年。それはスゴイ! Dr.Tomasのオフィスをお邪魔しました。右に居るのは秘書のレナータさん。 Dr.Tomasのご自宅にもお邪魔しました。ご夫婦を囲んで。 ![]() ![]() ![]() ![]() この写真は、旅行が全て終わって、プラハ最後の日に再びトマスさんに会いに行ったときのもの。妹さんとその坊や達がいました。 イチゴのタルト。一切れがとても大きくて、大満足! |
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7. プラハの地下鉄 1995年8月
![]() プラハの地下鉄のチケット(裏と表)。裏(左)の番号にパンチで穴があけられます。表(右)にはチケットを購入した時間がプリントされていて、1時間乗り放題と書かれている(らしい)です。 Aライン=緑、Bライン=黄、Cライン=赤の3つの線がプラハを地下を走っています。縦に水色で描かれているのはヴルタヴァ川です。川の左側(西側)にプラハ城、右側(東側)に市街が広がっています。 プラハの地下鉄案内板 プラハの地下鉄車内 |
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8. ジョン・レノンの壁 1995年8月
1980年にジョンレノンが死んだとき、彼の死を悲しんでこのような落書がされたそうです。ジョンレノンの壁と呼ばれてますが、ジョンレノン自身は一度もプラハに来たことは無いそうです。壁には平和を願うメッセージがかかれていました。 ![]() |
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9. ドヴォルザークの生家 1995年8月
ドヴォルザーク(作曲家(1841-1904))の生家![]() ![]() |
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10. 市街を散歩 1995年8月
プラハ市街の青空市場![]() プラハ市街![]() ![]() サンゴのネクレスを発見。 プラハのマクドナルド |
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11. フルボカーへ向かう 1995年8月
プラハからフルボカーへのバスチケット プラハから南へ80kmほど下ったところにフルボカー(hluboka)という小さな街があります。チェコ(Czech)で最も美しいといわれるフルボカ城のために多くの観光客が訪れる街です。 私達はプラハ(フローレンツ・バスターミナル)からバスでフルボカーへ行きました。左はこれから乗るバスです。 フローレンツ(Florenc)のバスターミナルにて、旅行客と。 バス車内より。ず〜とこんな風景。野原と、山と、曇り空。 |
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12. フルボカー城へ 1995年8月
チェコで最も美しい城と言われるフルボカー城へ。このお城は13世紀から3世紀ほどボヘミア王が代々所有し、その後ドイツ出身でボヘミア地方でも力をもった貴族シュワルツェンベルク家(Schwarzenberg)の所有となったそうです。左はフルボカー城のパンフレット。 お城の入場券 フルボカ城へ続く坂道![]() ![]() 今の時期はサマーヴァケーション(夏休み)の時期で、家族連れの観光客がたくさんいました。子供達は皆じっとガイドの話を聞いていて感心しました。 これはカラスに眼をつかれるトルコ人をかたどったドアノブ。このお城の持ち主、ドイツ出身の貴族シュワルツェンベルク家(Schwarzenberg)の紋章だそうです。かつてチェコを苦しめたオスマントルコへの恨みがこもっているとか。恐ろしい・・。 なにか意味ありげな4体の像。 自然なかたちでいろんなお花が咲いていてとっても綺麗! |
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13. フルボカーの市街を散歩 1995年8月
フルボカーの市街![]() フルボカーの街の電話ボックスではカードがつかえないと教えてくれた町の子供達。![]() こういう形をした生き物を、どこかでみたことがあります。この車、バックはできるのかしら。 スーパーのカートですけど、こんな小さいカートを見たのは初めてです。 庭にプールがあるお宅。 庭にヤギがいるお宅。![]() 観光客向けのお土産屋さん。かわったインディアンのTシャツがあったのでお土産に買いました。 大風が吹き始めました。ポプラの木が轟々と音を立てて風にゆれています。作業をしていた人も多いそぎで逃げ帰っています。大雨が来るんです。日本では見られない光景です。 私達も避難! |
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14. フルボカーの自然のなかで。 1995年8月
緑のなかに赤いエナメルのコートが映える。 とても寒かったので、寝巻きやホテルのバスタオルなどありったけのものを身につけてます。ダルマ状態・・。後ろに広がる湖は人口湖。フルボカの湖は全て人口だとか。 フルボカー城の足元に広がる乗馬場は緑がキレイ! フルボカーでは、パークホテルに宿を取りました。左はフルボカー城がイラストレートされたパークホテルのコースター。 パークホテルにて。 パークホテルで朝食。 |
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15. フルボカーからプラハへ 1995年8月
これからプラハに帰ります。写真はフルボカーのバス停にて。 フルボカーのバス停にいた人たち。 フルボカーからプラハへ向かうバスの車内。満席! |
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16. ウェルディ 「 ラ・トラヴィアータ 」 1995年8月
8月18日から31日までウェルディ(Veldi)の歌劇を特集で公演しているようです。 プラハ国立歌劇場(Statni praha opera)でウェルディ(Veldi)の「ラ・トラヴィアータ(La Traviata 邦題:椿姫)」というオペラを鑑賞しました。劇の休憩時間はロビーでワインを飲みました。 |
| 17. カルルシュテイン城へ 1995年8月
ホテル(Bohemia)でツアーへ申し込み、カルルシュテイン(Karlstajn)城へ行くことにしました。カルルシュテイン城(karlstejn)は14世紀に建てられたお城で、プラハ市街から25kmほど南西へ下った郊外にあります。左はツアーのパンフレットです。私達が選んだのは真中のコース。 ![]() カルルシュテイン城で出会った人たち![]() ![]() ![]() お城を下から眺める。 カルルシュテイン城で結婚式に出会いました。 カルルシュテイン城からのの眺め |
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18. モーツアルトのオペラを鑑賞 1995年8月
ベルトラムカ壮(Villa Bertramka)で、歌劇「A Night with Mozart」を鑑賞しました。 ここは、モーツアルがプラハへ訪れたとき宿としてよく利用したところで、今はモーツアルト記念館として公開されています。 ![]() 扇形にたたまれるパンフレット。 ショーは間近で鑑賞できて、本当に素晴らしかった! オペラ歌手の声は、体からあふれでてくるように感じます。![]() ![]() |
| 19. アントニン・ドヴォルザーク博物館 1995年8月
今日はアントニン・ドヴォルザーク(Antonin Leopold Dvorak 1841-1904)の博物館(Museum Antnin Dovorak)へ行きました。 ドヴォルザーク博物館のチケット 博物館入り口にて。 ドヴォルザークの肖像画の前で。 ピアノを囲んで。 静かにドヴォルザークのシンフォニーを聞いて、私の心之中の新しい扉が開いたように感じます。明るい大きな美しく豊かな世界が広がっていくようです。なんだか音楽の階段を一段上ったような気分になりました。 若者がリュックをしょって、どこの国から来たのだろう。耳を澄まして音楽に聴き入っています。 −完− |
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